【解説】 オルバン首相の「実験」、国民がついに拒む ハンガリーで政権交代へ

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ニック・ソープ・ブダペスト特派員
ハンガリーのオルバン・ヴィクトル首相が政権を握っていた過去16年間でやってきたのは「実験」だった。ただ、それを何と呼べばいいのか、彼自身わかっていなかった。「非自由主義的民主主義」は、あまりに否定的に聞こえた。
彼のアメリカ人の友人らは「国家保守主義」と好んで呼んだ。こっちの方が響きはいいが、厳密には決して正しくなかった。保守派のほとんどとは違い、オルバン氏は反逆者だった。
オルバン氏は絶えず自らを過激化させた。そうした状態で、何を保守できたといえるのか。
彼は主流派や「ブリュッセルの官僚たち」をあざけるのが大好きだった。官僚らにとって、彼は目の上のたんこぶだった。反撃しても、そのたび彼は、それを自らの利益に変えたのだった。
オルバン氏は自らを「反グローバリスト」と呼んだ。それでいて、ドイツの自動車メーカーや、中国や韓国の電気自動車(EV)用バッテリーメーカーをハンガリーに誘致した。
国家主権の擁護者だとも自称した。だが、ロシアに対して主権を守ろうとするウクライナの味方をすることは拒んだ。

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オルバン氏は移民政策を激しく非難しながらも、スリランカ、フィリピン、ウクライナ、トルコからの移民を密かに奨励し、新工場建設を進めた。
子どもの数を増やそうと、巨額の資金を投入した。だが、合計特殊出生率は昨年1.31まで低下した。これは、彼が社会党から政権を引き継いだ2010年と同じ数値だ。
12日夜に素早く選挙での敗北を認めたのは、オルバン氏が自らのイメージを強く意識していることの表れたった。彼は「多数決主義」の民主主義者として振る舞った。「勝者総取り」の考えを支持し、政権運営でもそれに合った行動をした。
2010年の総選挙で3分の2の議席を獲得すると、1年後には新憲法を制定した。自分がイメージする国へとハンガリーを再構築し、自らの政党の主張に合うよう変えてきた。
議会での圧倒的な勢力を背景に、彼は法案を次々と可決させた。司法制度も選挙制度も、経済も変えた。
だが12日、ハンガリー国民はついに断固とした意思を示した。「これ以上、実験台にされるのはごめんだ」と言ったのだった。
マジャル・ペーテル氏が勝利したのは、彼がすべての集会でハンガリー国旗を掲げ、排他的ではなく包摂的な国家メッセージを打ち出したからだった。そしておそらく何より、ハンガリー国民が絶え間ない対立に疲れ果てていたからだった。
国民は、富裕層がますます豊かになり、貧困層がますます貧しくなって、中間層が縮小していく状況を嫌っていた。
オルバン氏は闘いに勝つことも多かったが、国民が求めていたのは、平和と静けさだった。自らの意見をもつ普通の国だった。
マジャル氏が約束しているのはそれだ。彼はドナウ川の岸辺で踊る大群衆に向かい、「今夜は祝おう」と語りかけ、こう続けた。
「だが明日、私たちは仕事に取りかかる」











